少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

「善き人のためのソナタ」にみる主体性なき恐ろしさについて

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

 国家 (東独)やイデオロギー中心の自由なき社会の中で、その権化であった公安取締官の男(ヴィスラー大尉)が、反体制の舞台脚本家(ドライマン)の家を盗聴したことをきっかけに、その高貴な精神世界に触れ次第に今までの考え方に疑念を感じだし、ついに芸術や自由的な考えに共鳴していく姿を描いた秀作です。

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 まず体制下にいる人間の不気味さと傲慢さが丁寧に描かれます。盗聴の対象となっているドライマンの恋人に対して、権力をかさに脅迫的な言動で我が物にしようとする大臣や、トップを軽蔑しながらも自分の出世や保身のためだけを考えて行動する中佐。そして国家に忠誠を誓うことのみを生きがいとして反体制者を取り締まることに異常なほどの情熱を燃やす主人公のヴィスラー大尉。その個性は異なりますが、真の意味で主体性をもたない彼らの滑稽さや不気味さが観るものに嫌悪の念を抱かせます。

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 そんな中、主人公のヴィスラー大尉だけが、盗聴という国家権力がバックにあるからこそできる行為によって、芸術家の真摯な信念と男女の深い愛を知るようになり、次第に国家に盲目的に忠誠を誓う自分に疑惑の眼を向けるようになります。そしてそれは、ドライマンに不利な行為を報告書に記述しなかったり、時には改ざんするまでにエスカレートしてきます。ドライマンと恋人との情事を盗聴し、自分も興奮してしまい年嵩の売春婦を呼びつけるシーンは、能面で鉄のような男の人間くささを感じました。また大臣の呼び出しを受けてその身を委ねようとするドライマンの恋人に、一ファンという立場で、真実の愛を貫くことの大切さを伝えようとします。

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 そして終局、保身のためドライマンを裏切った恋人を助けるためヴィスラー大尉は最後のサポートを決行します。この後の展開はもう見事としか言えません。映画の最後はベルリンの壁が崩壊した時代になっており、もうドライマンは何の遠慮もなく自由に芸術活動ができる身分になっていました。そして自分の家がずっと公安に盗聴されていたことを聞かされ、これまでに起きた真実を全て知るようになります。

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  先にも述べたように組織に全てを委ね真の主体性をもたない男たちの末路はあわれです。しかし、この男たちを我々はどれだけ笑えるでしょうか。彼らを非難すればするほど、その矢は自分たちに戻ってくることを忘れてはならないと思います。組織がバイアスをかけてきた時に自己を貫くのはそう容易くはないからです。そして人間は、組織というものが意外と好きだったりしますから。

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 実はこの主人公を演じたウルリッヒ・ミューエは東ドイツの共産主義体制の中で、この映画で盗聴の対象となったドライマンの立場にあった役者でした。かなり公安から目をつけられ家も盗聴されていたと言います。さらにそれに妻が関与していたとも言われますから、この映画で彼はどんな気持ちで公安のヴィスラー大尉を演じていたのか聞いてみたくなります。

この映画はアカデミー賞外国語部門を受賞し、ミューエの知名度も大きく上がりますが、その翌年胃癌で54歳の生涯に幕をとじました。