少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

隠居はそう簡単ではないけれど・・・・

 

よく遊びよく遊べ 隠居大学

 江戸時代には隠居は良きものとして理解されていたが、どうも文明開化あたりから悪しきものとして捉えられるようになったようだ。

「いやー早く引退したいんだけど、なかなかさせてくれなくてさー」などと言いながら満更でもない様子だったりする。

定年うつという話もよく聞く。どうも会社や社会から離れることに心細さを感じる人(特に男)が多いようだ。

まあ会社を離れるか離れないかは別にして、人生の最終章にはいったら、今後の自分の路線をどうしていくのかを考え、その際に「隠居」的な生き方の選択肢もあることを知っておくのも大切だと思う。

 

広告批評家の天野祐吉さんが主宰した「隠居大学」で、講師として招かれた文化人たちも、別に隠居をしているわけではない。ただ、最前線で活躍していた時と、少し(人によってはかなり)人生へのスタンスを変えた体験を語っているのである。

 

横尾忠則氏  ➡ グラフィクデザインをやめて、通常の絵を書いたり小説を書く。好きなことだけやる。

外山滋比古氏 ➡ どんなことでも自分の頭で考え行動する。前半の人生と違うことに挑戦する。

赤瀬川原平氏 ➡ 優柔不断などマイナスと言われるものの価値を見直す。

谷川俊太郎氏 ➡ ますます宇宙人的な発想で生きる。ここにある今だけを生きる。

坪内総典氏  ➡ 無責任で主体性のない見方を楽しむ。解釈を他人に委ねてみる

安野光雅氏  ➡ 言葉なんかわからなくても気にせず異郷に出かける

 

 つまり本当に隠居するのではなく、社会的な慣習や結果やしがらみから離れて生きるということを推奨していると言えるだろう。

確かに横尾氏が指摘しているように、本当に隠居したい人がこんな大学を考えるわけないのである。この大学を企画した天野氏は隠居は無理かもしれない。

本書の中では、さすが前衛的な芸術家である横尾氏の発言が最も過激で正直で面白い。何ってたって対談の最後のセリフは「そもそも僕は隠居ってことに興味ないんですね」だから(笑)

 

 その点、60歳半ばまで大学という組織に従事していた外山滋比古氏の発言は、サラリーマンにはある程度は納得がいくかもしれない。

隠居というのは誰もが簡単になれるものではないと考えているんです。(略) 隠居するぞ!といってすぐに実行できるのは組織のトップや大将だけなんです。

そして、ともすれば受動的に生きてきたサラリーマンが主体的な隠居をするためには新しい志を掲げなければならないと強調するのである。(こういうところが、まだ組織人の名残を感じたりするが・・・)

 

なかなか今までの習慣や志向を変えるのは難しい。

かくいう私も組織を離れた身になっても、せっかく飲みに誘ってくれた人に対して「できるだけ早く日程を決めて連絡してほしい」なんて、仕事のような野暮な返信をしてしまったりして、反省している。

確かに隠居は容易ではないのである。