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少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

小松左京の人間観・自然観について

 

宇宙にとって人間とは何か―小松左京箴言集 (PHP新書)

お元気ですか。少年シニアです。

「ときめく映画」で復活の日の原作者の小松左京さんのことに触れました。

   小松さんというと「日本沈没」や「復活の日」という壮大なスケールの物語を生み出したSF作家ですが、芸術家の岡本太郎氏とともに1970年の万国博覧会のプロデュースもしている実務家でもあります。

氏の八面六臂の活動の裏にある人間観・自然観を知りたくて、本書を読みました。

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 本書を読んだ後、小松氏に抱いた印象は、大局的な視点とともに非常に緻密な視点も重んじる人だなということでした。これは私の先入観の裏返しで、奇抜な構想で世間を驚かせた人なので、その考え方も奇抜で楽天的なものなのかと思い込んでいたからだと思います。例えばこんな記述があります。

  SFを専門に選んだ時「人間の歴史を地球史 自然史の一部として見る」という視点を選んでいた。そうする事によって人間の歴史はその過誤や悲劇も含めてーかえってもっとも親しいものになった。(1973年 歴史と文明の旅)

 私も今、歴史というものを宇宙の成り立ちを起点として理解しなおそうと思っているのでこうした文章にでくわすと勇気が出ます。

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 またこんな文章をみつけました。

 草木も虫もまた、おのおの生命であるということを認識することができれば、その生き物が殺しあわねば生きていけない状態に対して深い悲しみを感ずる能力をもっているに違いない。知的であることは、まさにそのようなものであるからだ。(1967年 人類裁判)

 やはり小松左京の最大の関心は生命であるということを感じます。もっと言えば生命に対する畏敬、生命を生み出すものへの畏敬ということでしょうか。

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 これ結構、仏教的な宇宙観だなと思っていたら、やはり小松さんは仏教を評価していたようで、こんな文章にも出くわしました。

 仏教はすでにはるか昔に こうした人間の日常感覚を絶するような巨大な時空間量のイメージを打ちたて、その上でなお人間がこの「虚無」に耐え、それを乗り越えていく方法を開発しているように思えます。(1968年 未来社会と仏教)

そして生命の中でもとりわけ業を認識する人間に対する人間観をこう言います。

人間という動物にとって進歩というものは宿命であり業のようなものだという事が身に染みて感じられるのだった。人間というものはほうっておいてもその技術を進歩させてしまうものだ。(中略)美しく形を整えるとか装飾をほどこすといった非実用的な方向にでも、いくらでも進歩するのだから。(1972年 骨より)

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 小松氏が手がけた1970年の日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」でした。右肩上がりの時代でしたので進歩というのは皆実感していましたが、進歩のはてに失うものがあることを誰もが恐れていたように思います。しかし小松さんは、正しい進歩は美に通じ、その美は最終的には調和すると確信していたように思います。

 ある種の化学現象には、あまりにも整合性があって美しいものがある、(2002年 小松左京自伝)

人間も元素という化学物質で構成されている以上、その営みもある種の化学現象であり、その最終形は美につながるものである。小松さんはそう信じていたように思うのです。