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少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

二人の天才から見える生命の姿(若冲と蕪村展より)

お元気ですか 少年シニアです。

 六本木にあるサントリー美術館で、「若冲と蕪村展」が先週末より開催されました。

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伊藤若冲(じゃくちゅう)は、近年とみに注目されている江戸の画人。

その画風から、幾分際物扱いされていたようですが、単なる際物ではないスケールの

大きさと視点の面白さ・アナーキさに、いま熱い視線が送られています。

与謝蕪村は、松尾芭蕉と並び称される著名な俳諧師ですが、40を越した頃から画にも

取り組み、池大雅とも並ぶ絵画師と評価されるようになります。

まさに天才肌のアーチストと言えるでしょう。

 同じ1716年生まれの二人の展覧会。これを見逃すわけにはいかないのであります。

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 若冲の絵は、風景そのものよりも生き物自体にフォーカスしている印象。

それが鶏のような動物であれ野菜のような植物であれ、生き物が有する不可思議な

生命力をどう表現するかということに心血を注いでいるように感じました。

鶏の軽妙さを描くのではなく、捕食者としての鶏の恐ろしさを描く。確かに鶏に狙わ

れている虫などから見ると、こんな風に見えているのかもしれないと思います。

目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』 (アートセレクション)

目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』 (アートセレクション)

 

 そして何といってもこれは凄いと思ったのが、野菜・果実による涅槃図。

真ん中に釈迦と思われる二股大根を据えて、その回りをお弟子さんである様々な野菜

果実が取り囲んでいる絵。何という凄い発想力。

釈迦がその教えの核にすえた「真理」。まさに植物・野菜こそが生命の素となる真理

に他ならない。そのような若冲のメッセージを私は感じたのでした。

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一方の蕪村の絵。こちらは意外とオーソドックスな印象。これが蕪村だという主張は

あまり感じられないし、伝わってこない。

ただ、その蕪村の絵に凄みや主張性が感じられたのが、晩年に描いた 風吹の中

じっと耐え忍ぶ二羽の鴉の絵と一羽の鳶の絵。

一説によれば、鳶は蕪村が敬愛した芭蕉を表し、二羽の鴉は、蕪村自身として描いて

いるのではないかとのことです。

でも何故蕪村を表す鴉が一羽ではなく二羽なのか・・・・。

俳諧一筋に生きた芭蕉に対して、俳諧と画の両刀使いだった蕪村 この二羽の鴉は、

俳諧師蕪村と画人蕪村として表しているのかもと思ったりしました。

与謝蕪村 (新潮日本美術文庫)

与謝蕪村 (新潮日本美術文庫)

 

 

蕪村の俳句の素晴らしさ。それは広角なアングルからまず全体を眺めた上で、

対象をつぶさに視るという絵画的なアプローチ。

蕪村が俳諧師からスタートして、画人として領域を広げたことは、まさに必然であり

この素養なくして、数々の素晴らしい俳句は生まれなかったのだと思います。

 

    羽蟻飛ぶや 富士の裾野の 小家から

 

巨大な富士の広大さと小さな羽蟻の微細さ双方の素晴らしさを、わずかな文字数で

伝える蕪村の表現力。こうしてみると俳諧人蕪村と画人蕪村をわけて考えることは、

あまり意味のないことなのだと感じて美術館をあとにしました。