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少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

堀文子さんの気概に触れたくて

お元気ですか。少年シニアです。

昨年に引き続き「堀文子展」に行ってきました。堀文子さんは白寿を迎える

画家で、生命を描くことに心血を注がれているかたです。

本日は最終日でしたが、昨年同様訪れる人が絶えることはなく、盛況でした。

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ご本人の著書によれば、文子さんは、もともと生命科学に興味をもち、科学の仕事

をされたかったようです。

 

絵を描いて行きたいと、両親の大反対を押し切って女子美術学校に入学しました。本当ならば、自然の不思議を解明する科学者になりたかったのですが、女は大学に進学できない時代でしたから、あきらめざるを得ませんでした。(私流に現在を生きるより)

 

卒業後は何とか自立したいと願い、東京帝国大学農学部の作物学教室で、農作物の記録がを描く仕事に就きました。(中略)対象物を徹底的に観察し記録するこの仕事は、絵を目指すものの勉強としても、また自然の営みのすごさを認識するうえでも、大きな経験でした。(私流に現在を生きるより)

 

 

看板にもある今年の新作「紅梅」などを鑑賞し、館内のショップで文子さんが90歳

をすぎて制作された作品のポストカードを数枚購入しました。

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ご覧のように、文子さんの生命に対する好奇心、敬愛心はミジンコなどの微生物や

くらげにまで及びます。文子さんは80台半ばに大病を患われるのですが、奇跡的に

命を取りとめられます。

死を自分の中に受け止められるようになるのですが、そのとき頭浮かんだのが微生

物の世界だったと言います。

 

一滴の水の中に泳いでいる微生物、あれが見たい、そう思い始めるといてもたってもいられず、入院中お世話になった医師に紹介してもらった学者向けの専門店で、分不相応の顕微鏡を買い求めました。(中略)   ミジンコを初めて見たときの感動、丸い頭に黒い大きな目が一つ。丸い背中に口をとがらせた顔、この小さな体の中に、神は完璧に生命装置を埋め込んでくださっているのだ、と震えるような気持ちでした。

                                                                                                  (私流に現在を生きるより)

 

文子さんの絵が私の心を強くうつのは、ただ生命を眺めるのではなく、科学者として

強い好奇心をもって生命を丹念に描かれているからだと感じています。

だから文子さんの絵は、よくありがちな感傷を感じさせることがなく、生命のリアル

を素直に受け止めることができるのです。

 

命の終わりが近づくと、今までわかっていたことが、どうも違うように思えて参ります。科学雑誌や本を読んで地球の歴史や宇宙のことを知ると、いかに自分が何も知らないまま生きてきたのか、ということを痛感いたします。(私流に現在を生きるより)

 

人間はマンモスと闘いながら洞窟で生きてきた時は、毎日命がけで人生はもっと鮮烈な輝きを放っていたのではないでしょうか。自然の生き物は、いまだにそうだと思います。わたしは山の獣、草木、花々が日々生と死を分けながら生きているさまを観察してきて、その原始の感性とでもいうものに少しでも近づきたいと思っています(私流に現在を生きるより)

 

死は終わりではなく次の生命の始まりだという生々流転の思想を持っおりますので。死ぬと、わたくしの生命は何かになると考えています。できればわたくしは木になりたいと思います。この世の生命体の中で一番厳粛で立派なのは。木と植物だと考えておりますから。(私流に現在を生きるより)

 

 私は白寿にしてこれだけの好奇心と謙虚さと自負と気概をもっておられることに

ただただ畏敬の念を感じます。北斎にしても魁夷にしても高齢になって益々若さ

溢れる作品を創造していますが、こうした作品を前にすると芸術家というものは

改めて凄いものだなと感じます。

彼らは昔のおつりで生活していず、日々を自らの手で創造するのです。

 

描くものに対しては、感動とか興奮とかいった生易しいものではなく、逆上に近いような感情を持っていないと、人の魂など打たないのです。ただ、いいですね、とかきれいですね、と言っているくらいでは絵は描けません。(私流に現在を生きるより)

 

少し魂がなまったときには、文子さんの絵をみて背筋を伸ばし、文子さんが生命から

多くのことを学んだように、自分も学び続けたいと思っています。

 

私流に現在を生きる

私流に現在を生きる