読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

過剰な人間世界への危惧

雑感

お元気ですか。少年シニアです。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺がありますが、

人間を表現するのにこれほどふさわしい言葉はないと思います。

人間以外の動植物も生きるがための闘争をしてはいるのでしょうが

自然の摂理に逆らうことはなく、その摂理の中であくまでも戦っています。

ところが人間だけが自らの欲望を満たすために、自然の摂理までも踏み越えて

いこうとしています。正確に言えば、一部の人間がですが・・・・。

というのも、大半の人間はそこまで無理してさらに欲望を満たそうとは思って

いないように思うからです。

f:id:tkbkun:20170203210737j:plain

 

私は一般の人に比べて過剰な思考や欲望をもった人間自体は否定しません。

画期的な発明や発見や優れた芸術作品などは、そうした強い欲望をもった人から

生み出されたものだと思うからです。単独や同じ考えをもった仲間だけでやって

いる分には何ら問題はないと思います。

一番問題なのは、過剰な思想や思考を権力によって一般の人々に押し付け強要

することです。

先般大きな問題に発展した大手広告代理店の事例などは、その一例ででしょう。

  「取り組んだら放すな 殺されても放すな 目的完遂までは」

こんな過剰な執務心得が長きに渡りこの会社で引き継がれていたのですが、これ

はこの文章を考えた経営者が自分自身の信条や行動指針として心にとめておけば

いいことであって、一般の人々に強要するような普遍的な真理とはとても思えま

せん。しかし閉ざされた社会では、こうした非常識が常識としてまかりとおる怖

さがあります。

 

私は宗教的な人間ではありませんが、宗教に意義があるとすれば「過剰な考えに

陥りがちな人々の頭を冷やし、生き物としてごくごくあたり前な考えに導くこと

ではないかと思っています。

ある意味、一方向に突進していこうとする人間にブレーキをかけ基本に立ち返らせ

るのが、宗教のもつ意義だと思うわけです。したがって自分の考えと異なる相手を

攻撃の対象にするような宗教も、本来の宗教からは完全にかけ離れたものだと思っ

ています。

 

 いずれにしても、現在の人間社会は権力をもつ過剰な欲望にとらわれた一部の

人間によって相当危うい状況に陥っているのではないかと思います。そしてそう

した人間に容易く迎合し、さらに過剰な動きに火を注ぐ人達の存在が、より社会を

不安定なものにしている気がします。

もし過剰なことを求められらたら勇気をもって無視する、またノーをつきつける

ことが、きわめて大切だと感じます。

最後は自分の中でしっかりとした自己の指針をもつこと、これが過剰な思想から

身を守ることだと、自分に言い聞かせています。