少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

芸術がすべてではない

 先日 鞍馬へ行く叡山鉄道のとある駅で、京都精華大学の広告看板があって、これ

ぶったまげた内容のものだった。 そこに書いてあった言葉は、ずばり

「芸術がすべてではない」

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 通常、芸術大学であれば、芸術の素晴らしさを伝え、むしろ「芸術こそすべてだ」というキャッチコピーであっても不思議ではない。それがそうではないのだ。

私は思った。これは「芸術こそがすべてだ」という視野の狭い学生や受験生への警告なのだ。本当の芸術とは芸術単独になりたつものではなく、政治や経済 社会という人間の生の基盤となるものとつながって成り立っているのだということを、学生に伝えたかったのではないかと私は理解した。

確かにそういう芸術至上主義的な人はいる。政治経済や社会活動 そして娯楽といった実務的なことや大衆的なものを小馬鹿にしている人は私の周りにもいた。

一方で逆に政治至上主義、経済至上主義の人もいた。

「もうけることは悪いことですか」と場違いな発言をした投資家もいた。もうけることを誰も悪いと言ったのではなく不法的にもうけることが悪いと言ったのだが、その人はそう理解しなかったのだろう。また、法的には責任がないとして、責任を回避する法律至上主義的な人も政治界や経済界には大勢いる。

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岡本太郎氏は私の尊敬する芸術家の一人だ。一見偏った過激な人に見えるが、その著書を読むと、実にバランス感覚のある人だということがわかる。ある著書の中にこんな一節があった。

 

ぼくはここで一つ提言したい。
 酷くユニークで、突飛だと思われるかもしれないが。いま、この世界で必要なことは、芸術・政治・経済の三権分立である。モンテスキューの唱えた古典的な司法・立法・行政の相互不可侵というような技術的なシステムではなく、まったく新しい三つの原理のオートノミーを確立すべきだ。
 政治・経済は人間にとって勿論欠くことのできないシステムである。というより生活j自体なのだ。しかしおかしなことは、日常、ぼくらにとって、「政治」「経済」と聞くと、何かひどくよそよそしい。多分これらの機構がいわゆる政治家、経済人によって勝手にコントロールされ、「芸術」つまり「人間」が抜け落ちてしまっているからだろう。
 
                       (自分の中に毒を持てより)

 

 これは、彼が芸術の重要性を説いている中での発言ではあるのだが、注目すべきは、政治・経済の重要性も認識し、三権分立という言葉でバランスのある生き方を求めていることである。。まさにその通りだと私は思う。彼は芸術の狭い世界に閉じこもらず、社会とぶつかり問いかけ、人間のすべての行為が重要であり、そこに順位付けなどはないことを主張した。

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 また「バランスこそが命綱」と言ったのは、作家でギャンブラーでもあった阿佐田哲也氏でギャンブラーがバランスの重要性を説いているところが並みではない。でも彼のまわりで長年博打を打ってしのいでいる人は必ずバランス感覚にすぐれているそうだ。そういえば阿佐田哲也氏は、大衆小説を書くときはこの名前を使い、純文学を書くときには色川大吉という名前を使っていた。これも彼一流のバランス感覚なのだろう。

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この京都精華大学の広告コピーを見て、この大学もなかなかのものだなと感じ、一度学園祭にでも行ってみたいなと思った次第である。