少年シニア 自由形で生きる

人生の最終章を少年に戻って自由形で生きる事に決めた男が出会った風景・言葉・芸術・人

追悼:ザ・デストロイヤーさん

拝啓 ザデストロイヤーさん

 

 本当にお疲れ様でした。私が5歳のときから、時には恐ろしい存在として、時には畏敬する存在として 時には親しみを感じる存在として、私の心に大きな衝撃を与えました。最初にみたのは5歳のとき。力道山と戦っていたあなたを見て、こんな恐ろしい人間が世の中にいるんだということを感じました。圧倒的に強いと思っていた力道山があなたの4の字固めに苦しめられている姿や、覆面で顔をかくし、ときにその覆面の中に凶器をしのばせ、力道山を血まみれにした姿を観て私は怖くて泣きました。

 

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 2回目の出会いは、11歳のときです。漫画タイガーマスクの影響で本格的なプロレスファンになりたての頃、あなたが久しぶりに来日し、ときの王者ジャイアント馬場と死闘を繰り広げました。あなたが39歳、プロレスラーとしてもはやピークを過ぎたものの、それを上回る経験値で、当時33歳の選手として最もピークを迎える馬場に互角以上の戦いをしました。そして伸び盛りの猪木に胸をかし子供扱いしました。

 

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 その後宿敵となるアブドーラブッチャーが来日、少しづつヒール(悪役)のトップをブッチャーに譲るようになっていきます。しかし、あなたは真のプロフエッショナルでした。ジャイアント馬場が独立し、自陣のベビーフエイス(良役)が手薄になると馬場の要請を受けて、日本人側の味方になり、アブドーラブッチャーをはじめマークルーインなど、超ヒールの一流レスラーと抗争を繰り広げ、基盤の弱い全日本プロレスを支えました。あなたは自分に何が求められているかをすぐ理解し行動にうつし、見事にそれをやりとげたのです。

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 その後、ジャンボ鶴田という馬場の後継者があらわれ、またファンク一家が馬場のプロモート権を握ると、全日本プロレスの中のあなたの存在価値は弱くなり次第に出番が少なくなりました。それをあなたは最終的には受け入れました。あなたはお笑番組に出たり、日本の青少年のレスリング指導などに注力するようになります。

しかし、あなたがいなければ間違いなくその前に全日本プロレスは基盤の弱さのため崩壊していたでしょう。あなたはそういう意味で、アブドーラブッチャーやスタンハンセン ビルロビンソンなどと並んで、日本のプロレス界の隆盛になくてはならない存在でした。

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 またあとで知りましたが、東日本大震災では現地に赴き、さまざまな形の支援をおこないました。あなたも自分をこれだけ愛してくれる日本を愛していたんですよね。

あなたはレスラーとして 人間として超一流の人でした。あなたはプロレスを通して幸福になるためには、自分一人ではなれない。周りの人間(時にファン 時にはライバル)がいるからこそ自分も光る 相手を光らすことが自分を光らせることになることを、熟知していたんですね。

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もう一度言わせてください。あなたは日本のプロレス界にとって、そして私にとってなくてはならない存在でした。力道山・馬場という二世代をまたいだ日本のヒーローの強烈なライバルとして君臨したあなたはまぎれもないヒーローです。

心からご冥福をお祈りします。そして最後にこれまで本当にありがとうと言いたいです。さようなら ザ・デストロイヤー